さて、何書きましょうかね。
最近てきとうにてきとうを重ねたために、コトバの端々に
「てきとう」とつい出てしまうんですよね。
朝出社すると「おはようございてきとうます」とか
お昼ごはん食べるときとか「てきとう昼飯いってきます」とか。
困ったものです。
でも今日、帰宅して郵便受けを見てみたら
東京都てきとう会というサークルからてきとうに入会しないかい?
というお誘いのダイレクトメールが入っていました。
でもよくみると「南埼玉支部」とありました。
勘違いしていただきたくないのですが
僕はてきとうといっても旧派、新派のどちらにも属さないので、
その辺を区別していただきたいと思います。
ちなみに、東京都てきとう会は新派で、
全国規模でみると約7割が新派となります。
でも世界規模では旧派が6割以上を占めます。どうでもいいのですが。
さて、そうやって日々てきとうに起きて
てきとうに仕事に行き、てきとうに食事をして
てきとうに眠る生活をしていても、
どうにもこうにもてきとうにならないものだってもちろんあります。
知っている方も多いと思いますが、それは入浴です。
シャワーのみの場合もこれに含まれます。
(もっとも、シャワーを含めることを異端とする人たちも存在します)
入浴だけはてきとうに済ますことができません。
それは(ときとして)神聖な儀式となることもありうるからです。
古来より人々は、身を洗い清めることで
自分という存在を神に近づけることができると信じていました。
じつは今でも島根県の一部にこの残っているともいわれています。
そこで僕は入浴の際は、てきとうを封印し
“そこそこ”人並みに近づけるように努力しているわけです。
(別に真剣になる必要はありません)
そう、こんな僕でも努力することはあるのです。
でもそれ以外はやっぱりてきとうです。
てきとうが楽ということもありますが、それは単に肉体ベースの話でなく
精神的なやすらぎを求めるためでもあります。
このストレス社会において、精神の安定は何よりも得がたいもの。
それが超高齢化社会をむかえるにあたり
平均寿命をのばすためのひとつの指針となるのです。
てきとうなことを書いているけれど。まあ、たぶん。
最近てきとうにてきとうを重ねたために、コトバの端々に
「てきとう」とつい出てしまうんですよね。
朝出社すると「おはようございてきとうます」とか
お昼ごはん食べるときとか「てきとう昼飯いってきます」とか。
困ったものです。
でも今日、帰宅して郵便受けを見てみたら
東京都てきとう会というサークルからてきとうに入会しないかい?
というお誘いのダイレクトメールが入っていました。
でもよくみると「南埼玉支部」とありました。
勘違いしていただきたくないのですが
僕はてきとうといっても旧派、新派のどちらにも属さないので、
その辺を区別していただきたいと思います。
ちなみに、東京都てきとう会は新派で、
全国規模でみると約7割が新派となります。
でも世界規模では旧派が6割以上を占めます。どうでもいいのですが。
さて、そうやって日々てきとうに起きて
てきとうに仕事に行き、てきとうに食事をして
てきとうに眠る生活をしていても、
どうにもこうにもてきとうにならないものだってもちろんあります。
知っている方も多いと思いますが、それは入浴です。
シャワーのみの場合もこれに含まれます。
(もっとも、シャワーを含めることを異端とする人たちも存在します)
入浴だけはてきとうに済ますことができません。
それは(ときとして)神聖な儀式となることもありうるからです。
古来より人々は、身を洗い清めることで
自分という存在を神に近づけることができると信じていました。
じつは今でも島根県の一部にこの残っているともいわれています。
そこで僕は入浴の際は、てきとうを封印し
“そこそこ”人並みに近づけるように努力しているわけです。
(別に真剣になる必要はありません)
そう、こんな僕でも努力することはあるのです。
でもそれ以外はやっぱりてきとうです。
てきとうが楽ということもありますが、それは単に肉体ベースの話でなく
精神的なやすらぎを求めるためでもあります。
このストレス社会において、精神の安定は何よりも得がたいもの。
それが超高齢化社会をむかえるにあたり
平均寿命をのばすためのひとつの指針となるのです。
てきとうなことを書いているけれど。まあ、たぶん。