道の駅かでな。
那覇に戻る途中、嘉手納基地に隣接している道の駅に立ち寄る。
嘉手納基地は極東最大の米空軍基地で羽田空港の約2倍の敷地面積がある。
道の駅にある、4階建の建物の最上階が展望台になっていて、
基地全体を見渡せるようになっている。Yさんの話によると、
ここは飛行機マニアとか軍基地マニアが集まるスポットなのだそうだ。

この日は日曜日のため、基地はしんと静まり返っていて、
飛行機も「今日は休日だよ〜」みたいな感じで寛いでいるように見える。
平日はけっこう軍用機が離着陸をしていて騒がしいらしい。
ここのハンバーガーだかチーズバーガーが沖縄のハンバーガー好きの間では
ちょっと有名で、道の駅のなかでは一番美味しいらしい。
確かにハンバーガー(あるいはチーズバーガー)を買い求めている
観光客は多かった。僕も食べたかったのだが、夕方近かったので夕食のことを
思って断念した(でもやっぱり食べておけばよかったと今になって思う)。

那覇に近づくほどに交通量が増えていく。
沖縄ではミニバンやワンボックスカーをほとんど見ることがない。
多くは軽自動車か、1300〜1500CCクラスのコンパクトカー、そしてタクシーである。
ついでにいうとレンタカーも多い。沖縄の人は本土に比べて運転が粗い。
というか、車線変更が多い。けっこうちょこちょこと右に左に動いている。
大きな幹線道路ではそうでもないが、ちょっと街から離れた場所だと
ウインカーを出さずに車線変更をしていく車もけっこういる。
さらにいえば追い越し禁止車線でも対向車がいなければかまわずに追い抜いていく。

最初は戸惑ったが2日も滞在していると慣れてきて、こっちも地元の人と同じような
間隔でちょこちょこ車線を変更したりする(もちろんウインカーは出す)。
それと沖縄にはYナンバー車というものが存在する。
これはつまり米軍関係者が乗る車のナンバーで、沖縄の道はけっこう
このナンバーの車が走っている。でもこのYナンバー車がなかなかの曲者で、
なかには相当粗っぽい運転をする人もいる。これで事故が起きないのが
不思議なくらいであるが、Yナンバー車と事故を起こすと、その後の手続きやら
何やらが非常に面倒になるので(基地の向こうはアメリカなのだ)、
地元の人もYナンバー車にはそれなりに気を遣っているようである。

でもそれ以上に面倒なのがじつはバイクである。
それも125CCのスクーターが多く走っている。沖縄はもともと公共交通機関が
少ないため、基本的に移動は車かバイクである。原付だとスピードが出せないし、
使い勝手が悪いのだろう。ちょっと渋滞すると、この125CCスクーターたちが
右から左から車の隙間をすり抜けていく。これがけっこういいスピードで
抜けていくので、慣れないと非常に怖い。タクシーの運転手でさえ
怖くて仕方がないと思うときがあるそうである。

ちなみに沖縄では自転車に乗っている人をあまり見ない。
昨日のヤスオさんの話だと、自転車に乗っているのは、
だいたいが本土からの転勤族で、地元の年配の方のなかには
そもそも自転車に乗れない人も多いそうである。
確かにコンビニなどを見ても、自転車が止まっている場面を見ることがない。
駐車場にあるのはほとんど車かバイクである。

ちなみに1972年に返還されるまで米統治下だった沖縄は、
1978年7月30日にそれまでの右側通行から一斉に本土と同じ左側通行に切り替わった。
当時は相当な混乱があったそうだが、皆が皆厳重注意で運転したため、
この年の交通事故件数は例年の半数程度に減ったらしい。
また、車社会の沖縄を象徴するものとしてドライブスルーの銀行ATMまで
設置されているらしいが、これは本土にも、あるところにはあるそうである。



2008年11月24日

3日目。3日目はただの移動日である。
朝、ホテルをチェックアウトして空港へ向かう。空港へはゆいレールを利用する。
話の種に乗ってみよう、というだけのことである。
空港へ近づくほどに乗客(帰っていく観光客)が増えていく。
空港でお土産を買い(何を買うかけっこう悩んだ)、
出発までキッズスペースで子どもを遊ばせ(機内で寝てくれることを期待して)、
奥さんの妹さんに見送られ(Yさんは仕事)、那覇を飛び立つ。
自宅に戻ったのは夕方16時を過ぎたころである。
翌日からはまた仕事が待っている。つかの間の休日は終わったのである。