新幹線で、広島から東京へ戻ってくる。
片道4時間。物事を考えるには、ちょっとした時間である。

新幹線は品川から東京へ向かっている。
窓の外には高層ビルが見えている。「戻ってきた」と思う。良くも悪くも。
例えば、羽田空港に降り立ったときもそれを感じる。
羽田から首都高に乗る。やがて景色は高層ビルに包まれる。
「戻ってきた」と思う。良くも悪くも。

地方から東京に戻ってくると、とにかく人が多いことを実感する。
駅でも、空港でも、道路でも。

駅から、地下鉄を乗り継ぎ、最寄りの私鉄に乗る。
その間も、人は絶え間なく存在してる。
いつもの風景なんだけど、どこかいつもと違ったように見える。

普段、日常的に生活(大半は仕事だけれど)している分にはそれほど感じない
(あるいは、すでにその中に組み込まれていて感じることもない)けれど、
やっぱり東京は人が多い。良くも悪くも。


車窓から外の景色を見る。
街はすぐに山間に、あるいは田園風景に変わる。
そしていくつかのトンネルと、緑の景色を繰り返し、再び街になる。
それをいくつか(4時間ものあいだ)繰り返し、終着駅に到着する。

例えば、山間にある小さな民家。
小さな自動車と、軽トラックが停まっている民家。
90歳に近いおばあちゃんと、60歳を過ぎたおじさんが住んでいる風な民家。
自分自身が、その民家に住んでいることを想像してみる。
19時に仕事を終え、帰宅する。家族がそろって夕食を食べる。
そのあと、なんとなくテレビを見て、風呂に入って、寝る。
明日も朝は早い。5時に起きて、6時半には仕事に向かう。
そんな毎日を想像する。

例えば、駅前のパチンコ店。
そこで働く姿を想像する。学生時代にアルバイトをしていて、
大学を卒業してからもしばらく(1年くらい)アルバイトを続けているうちに
店長から社員になることを誘われ、そのまま正社員になった。
いくつか店舗を異動し(今の店が5店舗目だ)、マネージャーみたいな
役職も与えられ、店長をサポートしながら(あるいは現場のことはほとんど丸投げされ)
アルバイトの子を面接したり、店の売り上げについて考えている日々。
毎日の生活が充実しているとはいえないものの、
そこそこ給料も出ているし、今更転職するよりは、多くを望まなければ
このまま仕事を続けていたほうが生活もできるのだから、まあこんな人生もあるさと
考えている自分を想像する。

例えば、田んぼのあぜ道を歩く農家のおばさん。
例えば、工場のラインで3交代制で働く青年。
アパートで子どもを二人育てながら日常を送る主婦。
ホテルのフロントマン。国道を走るトラックの運転手。
倉庫の事務員。前の座席に座っている、髪が薄くなりかけたサラリーマン。

目に見える人々、あるいは建物の中で働いているであろう人々。
自分が、そんな人たちだったなら、と想像する。
おばさんは、これから家に戻って夕食の支度をするのだろうか。
青年は、仕事を終えてアパートに戻ると、冷蔵庫から缶ビールを取り出し
一息ついたあとに眠りにつくのか。
主婦は旦那の帰宅を待ち、フロントマンは笑顔を絶やさず、
運転手は渋滞にならないことを望む。

いろいろ想像してみるけれど、うまくいかない。
ぼやあっとした感覚はあるけれど、細部がはっきりしてこない。
そのうちに後頭部のあたりがもやもやしてくる。
今の人生と、今ここではない人生を考える。
少し、疲れたので眠る。


今ある世界のことを考える。
今生きている人生のことを考える。

前職のことを考える。
転職していなかったなら、今、どういった生活をしてただろう?
もう少し前のことを考える。
別の大学に行っていたら、今、どういった生活をしていただろう?
別の高校に行っていたら、今、どういった生活をしているだろう?
中学…は選べなかったな。でも陸上をやっていなかったら、今何をしているだろう?

生きるって、選択することだよな、と思う。
仕事だったり、学校だったり、今日の夕食だったり、立ち読みするマンガだったり。
選択はひとつしかできないし、選択が異なれば未来も異なる。
無限に(無限に近い)可能性と選択肢のなかからひとつを選ぶことで未来はつくられる。
でもそれをやっているのは僕だけじゃなくて、ウチの奥さんもそうだし、
会社の同僚もそうだし、コンビニの店員さんとか電車で隣に座っていた人とか、
タクシーの運転手とか、昔の彼女とか、民家のおばあちゃんとか、
モナコのセレブとか、紛争地域の住民とか、オバマ大統領とか
クリスティアーノ・ロナウドとか、とにかく色んな(67億人の人)人が
それぞれの未来を選択して、世界がつくられている。

そう考えると世界はとても複雑でよくわからないものだけど
時間の流れだけは一定で、世界は大きな時間の流れの枠のなかで
日々変化を繰り返している、ような気がする。
うまく言えないのだけど。

そんなことを考えているとまた後頭部のあたりが
むずむずしてきて、ぼやあっとしてくる。
そしてまた少しだけ眠る。


片道4時間は長いようだけれど、物事を考えるにはちょっとした時間である。

久しぶりに、一人きりでいろいろ考えたり、ぼーっとしたり、
もやもやしたり、したな。2時間は短いけれど、4時間はなかなかな時間だ。

こーいう時間もないと、たぶん、うまくバランスがとれないんだな、おれ。
変なおれ。



それにしても、東京は本当に人が多い。